変形性股関節症第3回目と第4回目は極末期の私の状態を記事にしますね。
公開する理由は、実際に今、股関節痛を抱えて辛い思いをしている方々をさらに不安にするためではありません。
「私ね、こんなに辛いの、みんな、わかって~」でもありません。
変形性股関節症の現実はあまりにも知られていないからです。
極末期には1日24時間、1年365日逃れられない激烈な痛みに心が折れそうな日があります。
50年前の理論を振りかざす医師や治療家に絶望し、大人なのに涙があふれだす日もありました。
ですから調子の悪い日にはこの記事を読まず、少し元気な日にご覧くださいね。
2020年2月、私が立てなくなったと同時にコロナ蔓延で自粛生活を余儀なくされました。
それ以来、国内外の症例報告や治療方法を検索し続け、治癒や寛解に結び付きそうな3000本余りのYoutube動画を観て、2022年2月現在、回復の光が見えてきています。
「こんなことになる前に、他人任せではなく自分に合う方法を探しましょう」と苦しんでいる方を応援したいです。
今回はそれぞれの症状に対する私の対抗策はブログ記事が長くなりすぎますので別の機会にしますが、何かしら考えつくものです。
対抗策が考えられなくても動けないことには変わりないので「特別休暇だ」と考えました。
歩行限度
2020年2月1日以降の3ヶ月、一日の歩数は16歩から100歩以内。
いつでも助けを求められるように携帯していたスマホの万歩計の数字です。
自宅でも鍼灸師として仕事をしていたこともあって、ありとあらゆる場所に手すりがあったことと、立ち上がることができなかったので四つ這いで移動していたため、そのような移動は「歩く」にはカウントされなかったのでしょう。
それにしても、ごくわずかでした。
間欠性跛行
脊柱管狭窄症の随伴症状として知られる間欠性跛行。
腰椎の神経が圧迫されたり、血流が悪くなるとふくらはぎを中心に痛みが生じて歩けなくなり、いったん休憩すると再度歩けるようになる症状です。
極末期に至るまでの2年間、やむを得ず午前中に外出すると5分の歩行で足がもつれてつまづくか、休憩しなければ歩けなくなっていました。
まだ比較的動ける午後なら間欠性跛行の程度がましで、10分ほど歩くことができたことや、痛みの部位が股関節前面や側面でしたので自己判断で脊柱管狭窄症ではないのかも、と考えました。
痛みの種類
痛みは股関節のみならず、下半身のあちらこちらに遊走性に現れましたが、一番激烈だったのは一歩ごとに起こる左右の大転子(右>左)の痛み。
窓ガラスにアイスピックを突き刺し無理やりひっかくような痛みが常時ありました。
股関節周囲は交通事故などで1トンもの力がかからない限り外れないような仕組みになっています。
ですから体の中で激しい筋肉の綱引きが行われており、寝ても起きても動いてもじっとしていても激烈な痛みでした。
いっそのこと、股関節が外れてくれれば、と祈ったほどです。
逃げられない痛み
楽しいことをしていても、おいしいものを食べていても、片時も痛みを忘れる時はありませんでした。
痛みにフォーカスするあまり過敏になっています。
気温や季節・天候による痛みの変化は気温が低ければ明らかに増悪。
一方、夏には冷房の悪影響がありました。
私の場合は湿度で痛みが増減することはありませんでした。
私は我慢強いほうです。
また、結石疝痛で救急搬送された経験もあります。
結石疝痛は痛みの強い疾患リストの常連ぐらい七転八倒の痛みを伴いますが、結石疝痛は発症時のみの痛みです。
股関節痛は常時、結石疝痛をはるかにしのぐ酷いものでした。
レイノー現象
症状悪化につれ全身の血流悪化から冷えがきつくなり、足趾にはレイノー現象(冷えて蒼白から紫色になる)が起きていました。
フリースパジャマに加えてダウンパンツの2枚重ね履き、靴下3~4枚、あちらこちらに貼るカイロを使っても下半身は氷のように冷たく、体の中を北風が吹くと感じる時期がありました。
ただし、どんなに寒くても足にピッタリ沿うタイツ、レギンス類は下半身の圧迫感が強く、全く着用できませんでした。
炎症のピーク時
今から振り返ると極末期に至る前には右股関節に強い炎症がありました。
大腿骨頭が血まみれなのでは?と想像するほど股関節周囲に熱感と腫れや発赤がありました。
日内変動
午前中は油の切れた機械のようにギクシャクして動きにくい状態。
痛みがなくなるわけではありませんが、午後数時間のみ寛解することがありました。
夕方からは気力・体力を消耗し、痛みが一層増悪しました。
起床時と血流
人の体は就寝中でもその働きが止まることはありませんが睡眠モードになります。
そのため、起床時から午前中は就寝中の血流の悪さが災いして痛みがよりきつく、すぐには動けませんでした。
無理に動こうとすると股関節または膝関節のカクンと力が抜けて階段から転倒しそうになるため、手すりを離すことはできませんでした。
夜間尿
就寝中にトイレに行くのは転倒との戦いでした。
極末期には体力の消耗が激しく、東洋医学的にはエネルギー不足のきつい腎虚(じんきょ)という状態のため頻尿、尿意切迫感が強く現れました。
排尿姿勢
左右の太ももを外転(外に広げること)が全くできなかったので、洋式トイレで排尿時、内腿に尿がかかるのを避けるため上半身をきつく折り曲げていました。
ところがこれは股関節の強い屈曲(前に曲げること)を意味し、排尿後は股関節にこむら返りが起こったようになり、しばらく立ち上がれなくなっていました。
患部の移動(左から右へ)
20年前の発症時は左股関節痛でしたが、左をかばい過ぎたのか後半の10年は右股関節が患側となったため、痛みで車の運転ができなくなりました。
発症時に病院で「左股関節の軟骨がすり減ったことによる痛み」と説明されましたが、左側の軟骨が増えたのでしょうか?
あの説明はいったい何だったのでしょう?
筋拘縮
筋拘縮(筋肉が硬く凝り固まって柔軟性を失うこと)が全身に波及し、つま先が思うように動かず小さな段差でも頻繁につまづいていました。
すねにある前脛骨筋がいつも外れそうな感じがしました。
つまづかないように足元を見て歩くと前傾姿勢が助長され、股関節前面の筋肉が縮んでしまうことは頭では理解していますが、つまづくと激痛が出るのでついつい慎重に下を向いて歩いてしまっていました。
横揺れ歩行
人は健康な時、歩くときの体の使い方を意識することなく自然に歩けます。
左右の太ももを後ろから前にスイングし、その時の勢いを使って前に進むことができます。
この前後のスイング(=伸展と屈曲)がないとその場に突っ立ったままです。
ところがひとたび股関節股関節周囲の筋肉が拘縮してしまうと、特に太ももを後ろに伸展する動作ができなくなるため、代わりに左右に大揺れして歩くことになります。
変形性股関節症の方に特徴的です。
しかしながら、この左右に揺れる歩行は大転子周りの筋肉にさらに負荷をかけ、痛みを増幅してしまいます。
頭では理解していますが、実際の歩行時には筋拘縮がきつすぎて揺れざるを得ませんでした。
外転ぶん回し歩行
聞きなれない言葉かもしれませんね。
脳梗塞の後遺症のある方に時々見受けられる歩き方ですが、股関節を動かせない、或いは痛みが出るので動かしたくないあまり、太ももを突っ張ったまま大きく外回しして歩いてしまうようになりました。
このことの弊害は左右の脚長差がない場合、骨盤そのものの位置がゆがんできてしまいます。
私の場合、左側の脇腹を縮めて右股関節を外転ぶん回し歩行できるように右側脇腹を伸ばすということを自然と行ってしまっていました。
結果、当然ですが体の左右バランスが大きく崩れました。
歩行速度
痛みがあると痛みが出ないようにするため歩行速度が遅くなります。
でも、ゆっくり歩くというのはスピードを利用できなくなり、筋力だけで歩くことになります。
自転車の運転を想像してみてください。
ゆっくり運転すると大きくグラグラして転倒しそうになります。
私の歩行速度が遅くなればなるほど筋肉に負荷がかかっていましたので、このことも痛みを助長しました。
外反母趾
太もも外側の筋肉が強く拘縮して緩む瞬間がなく、そのためまっすぐ立っても左右の内くるぶしの間は30センチ以上隙間があり、左右の膝がしらがつかなくなりました。
すると常時足の親指に力が入るようになり、土踏まずのアーチの角度がどんどん偏平足のようになり、外反母趾を発症しました。専門用語になりますが一歩ごとに過剰回内を起こしていました。
私の場合、幸いにも外反母趾の痛みはありませんでしたが、時間の問題で痛みが出てくる可能性は否めません。
外反母趾は変形性股関節症の人によくある随伴症状の一つです。
今思えば、極末期に至る前、まだストッキングをはくことができていた頃、一回はくと必ず親指の部分に穴が開いていました。どんなに高級なものやつま先補強してあるものでも穴が開きました。
常時前のめり姿勢だったことの証左だと思います。
でっちり姿勢
でっちり姿勢も変形性股関節症の方に多いです。
私もご多分に漏れずでっちりです。
その姿勢が股関節前面にある腸腰筋を縮ませてしまう、という知識はあれど、あまりにも筋肉同士のきつい引っ張り合いによって気をつけていてもでっちり姿勢になっていました。
このことは体の後面にある臀筋を使わないことにつながり、お尻はゴリラのようにペタンコ、座面に当たる坐骨周囲の皮膚は肥厚し(分厚くなる)椅子に座ることが苦痛になりました。
でっちり姿勢が強い内また歩きを引き起こしました。
私は元々外また歩きでしたので内また歩きに違和感がありました。
でも、もとに戻したくても筋肉が許してくれないのです。
結果、大転子にまたまた負荷が加わりました。
関節可動域
全身、特に下半身の筋肉の拘縮がきつく、堅い火箸のように曲がらない、わずかな関節可動域しかありませんでした。
高齢者にありがちなことですが、使わないことにより関節可動域制限が悪化していることは頭では理解できても、実際の痛みが強すぎて関節を動かすことができず、可動域は日増しに狭くなりました。
また、下半身の関節からは常にぽきぽき音が聞こえました。
衝撃吸収力
筋肉の働きのうち健康な時に気が付かないのが衝撃吸収力です。
地面との衝撃を吸収できないため、つまづくたびにつま先から頭のてっぺんまで稲妻のように痛みが走りました。
通常、健康な筋肉は着地の衝撃を吸収しますが、固くなった筋肉は衝撃を吸収する力をまったく失っていました。
運動神経の連携悪化
全身の筋肉の連携ががスムーズにできず、頻繁にいとも簡単に派手に転倒していました。
右足第四趾骨折。
日ごろから痛みをかばう動作からの筋拘縮があり、全身の運動神経は使わないとスムーズに連携せず、頻回に転倒につながりました。
ハイハイ運動
極末期に「四つん這いでハイハイ運動をするといい」とアドバイスを受け実行。
すると確かに、かつて人間は四つ足動物だったことを彷彿させるように、大腿骨頭の臼蓋へのはまりは良い気がしました。
ところが常時、両手首に想定外の体重がかかるため、右手首に腱鞘炎を発症。
私の股関節痛は、股関節周囲の筋肉の屈曲拘縮が最大原因でしたから、四つ這い姿勢が結果として悪影響だったのは言うまでもありません。
股関節周囲の筋肉と同様、わずかな衝撃でも激痛が走るようになりました。
四つん這い生活を続けるうちに、腸腰筋をはじめとする股関節前面の筋肉の屈曲拘縮が増悪、立ち上がり動作が一層困難になりました。
長々と書いたのでうんざりしたかもしれませんね。
ここまで読んでくださった方ががっかりしないようにお伝えしたいことがあります。
この症状で命を失うことはないのです。
そして問題解決に力を貸して下さる専門家もいるはずです。
私の場合、自分で自分の体のことをもっとよく理解して、調べて、考えて対処しなかったことがこれほど悪化した原因です。
子供のころから健康で、なんでも自分が努力すれば何とかなる、と思っていました。
傲慢だったと思います。
今、多くの方に支えられ回復の兆しを感じています。
私がたどり着いた股関節痛の本当の原因と対処方法についても近くブログ記事にします。
長くなりましたが、最後までお読みくださりどうもありがとうございました!
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